2023.06 - 愛情


こんにちは、深波です。


いつもはひと月ぶりにこの挨拶書いてるな〜という感覚でいるのですが、今月は26日にティザー公開のポストを書いたのでめちゃくちゃ近いですね。こんにちは。


明日MV公開ですね…わたしが準備してわたしが出すのになんだかそわそわしています。

今これを書いている間もあの辺ああしたいな、このテキストあのサイズで大丈夫だったかな、なとと編集画面を開かず思案しています。手を動かして〜。

今は書いてるのでいいんですが。


6月ってわたしの中で特段印象がないというか、旗日もないし、学生じゃなくなってからは中間試験もないしであー…えっと…6月、ッスね…という反応で日々を送っておりました。

アイスがありがたさ増してくるな、紫陽花が美しいな、青の混じった雨の匂いが好きだな、とか素敵なことはたくさんあるんですよ。

決して無価値なんてことはないんだけど、五感を包むものたちがあまりにも柔らかくて。

ちょうどいいブラーがかかった初夏の概念。6月。


そんな中ポラリスが生まれ、ジャケットイラスト担当のともきさんと連絡をとったりいろんな設定をしたり申請をしたりなんかしていたら決まったリリース日、6/26。

この時から一年の記憶の中でも淡~~~~~~い概念であった6月がかなり輪郭をはっきりさせてきました。

わたしは生来何か意識を注ぎ続けられるものがないと生活すら頑張れないので、仕事に制作にと慌ただしい日々はわりと好きです。

都度呪詛は吐いちゃうしポケモンのバイオレットもやってるけど。


今は頭に宝石をつけた宝箱に殴りかかるのに忙しくってェ…


ポケモンパンにもハマり、こどもの頃に通っておきたかったな〜!という後悔と大人って極論責任さえ取れば自由だし…と自分のお金で好きに買ってる喜びとが一緒に来ています。きらきらでかわいい~。


栄養とか熱量のとこを見るとひっくり返りそうになりますが、その分動けばノーカンノーカン!というか生きてるだけでいくらかは消費してるんだし、多少好きなものいっぱい食べたくらいでは…ねぇ…?

こういうマインドで呪詛を吐きたくなったわたしを甘やかしています。ご自愛。

美味しいもの、サイコ〜。

ありがたいことに愛されていることを実感する機会というのが増えてきた(というか素直に受け止められるようになってきた)ので、愛してくれるひとに倣ってわたし自身もわたしを愛していきたいですね。

それこそが、愛してくれる大切な誰かのためにできることだと思っています。


5月の動画


皆さん、5月に投稿しました「プラネテス」お聴きいただけましたでしょうか。


プラネテス - Covered by 深波


素敵な曲ですよね…これね…

姉の影響でボカロを聴くようになって10といくつ年、最近はボカコレというイベントを漁りに漁って新しい曲を探しています。

その2022春回にて投稿されたこちらの楽曲、ひと聴き惚れでした。

MVのテキスト表示のアイデアだったり曲の進行だったりギターフレーズだったりがかなり好みなのはもちろんなんですが、歌詞がと~~~っても好きです。

原曲の概要欄にあるので、まだの方はぜひ。☟


プラネテス/seiza feat.初音ミク



正しさやその恩恵である安定した社会での生活と、それを手放さないと手に入らない幸せ。

どちらを取るか、というのは難しい問題ですよね。

わたしたちの日常は、ドラマティックな選択を必ず祝福してくれるとは限りません。

ただそれを知ってなお、選びたい幸せがあるという場面は少なくないです。

星というわたしたちの日常の尺度を遙かに上回るスケールになぞらえたとしても、世界よりふたりというこの選択、この幸せが揺らぐことはない―――

こんな強い意志を描かれちゃ、刺さらないわけないんですよね。


もちろん世界よりふたり、というのはいたくわがままで未熟な願いかもしれないし、わたしたちが意を決したとして社会の構造やマジョリティを覆すのは難しいです。

相当な痛みや不利に襲われる上、掴みたかったその幸せすらも守りきれないかもしれない。


それでも、と続くところに、計り知れないほどの美しく強い愛情を感じます。

だから、物語やこれまでの音楽シーンでも長く愛されている概念になっているのかもしれません。


愛情って、考えれば考えるほど明文化するのが難しいものですよね。

知の叡智たる辞書にも当然記載はありますが、個人的には結局情という目に見えないものを探っていきながら、その時手に触れたものだけがわたしたちが言えることになるんだと思っていて。

いつだって知り得ることは不完全なままです。

わたしたちは、愛情のほんとうのすがたを確かに知ることはできない。

自分ではない存在に注がれている、あるいは注いでいるものである以上は、1000年生きようがこの世のすべてを明らかにするほど賢くなろうが誰にもできないことです。

でも、触れようとすればちゃんと自分の中のどこかが感じるものでもあって。


そのかたちは、あたたかさは、いったいどんなものなんでしょう?


誰かがわたしのためにそっと箱に入れてくれた愛情に、手を触れてみる。

遅く帰った日にテーブルにある食事かもしれないし、

何も言わずともコップに満たされた飲み物かもしれないし、

沈んだ日が分かるかのようなタイミングで来るお出かけの誘いかもしれない。

不確かだからこそ、その愛情をひとつたりとも逃したくありません。

しっかり抱えておきたいし、表すなら限りなくあなたにも伝わるようなものでありたい。

わたしが皆さんに表す愛情も、どうかひとつ残らず届きますように。


それでは、また。