23.07 - なる



こんにちは、深波です。


もはや液体になってしまいそうな、人としての輪郭を保てなくなりそうな暑さ。

自室のエアコンもついに働けなくなってきたのか、効きが微妙になってきました。


考えてみたら、5月からずっと暑さに打ちのめされている気がします。長いよ〜。

今月で夏が終わるわけではないし、かといって帳尻合わせに低気圧に囲まれても困るし、難儀な季節です。


冷凍庫をアイスと首冷やすリングで埋めたい。


明日からはたべる牧場シリーズの新作が出るし、サクレも新作ラッシュだし、バスキンロビンスにはダイキュリーアイスを復刻してもらいたい。


復刻で言えばブルーシールのココナッツ単体、もう二度とまみえないんでしょうか。これは先日食べたココナッツとパイナップルのフレーバー。かわいいし美味しいけど、ココナッツ単体のことを思い出してしまう。




アイスのことばかり考えているのってなんだかメルヘンな感じがするけど、頭の外は暑さに苦しみあえぎ死んだ目をしています。難儀な季節です。


生存しましょうね。一緒に。


6月の動画


皆さん、6月に投稿しました「ポラリス」お聴きいただけましたでしょうか。


深波 - ポラリス【MV ver.】



せっかくだしMV作りたいな〜、と思い続けていたのと、成長したし新録したいな〜というのを両方叶えられました︎︎︎︎✌︎

黙々と作業していると「見られるもの」「聴かれるもの」たりえているか、という迷宮に入ってしまうのですが、そこから抜け出して形にできたのは協力してくださった皆さん、そしてたくさんわたしの歌を愛してくださった皆さんのおかげです。


リリースから1年、制作開始からは2年。

これからわたし、どうしていこうかな。


「曲を作る」


「レコーディング」


「配信準備」


「1周年に向けての活動」


といった標をひとつひとつ辿ってここに至った、その先。

ここしばらくは具体的な活動よりもっと大きく、「どう生きていくか」という方向で思い耽っています。


永遠を願うこと


「ポラリス」という曲は、言わば音のついた自伝みたいなものです。


海のそばで生まれ育ち、

空を見上げるのが好きで、

雲も星も生命もすべて巡るのを知って、

喪失に打ちのめされて、

それでも大切にしたいもの、愛したいものがあって、

誰かに聞いてほしくて、

そのために生きていたくて。


そんなわたしの思うことをたくさん詰めた、ほぼわたしのようなもの。

そんな「わたし」を再構成するにあたって話したいことがあるので、よかったら付き合ってください。


年頃からすれば当たり前かもしれませんが、幼い頃のわたしは今日のことだけ考えて生きていました。

帰ったら何して遊ぼう、宿題したくないな、今日のご飯なにかな、みたいな。


そこから大きく人として変わったのは、言うまでもなく大震災で受けた喪失がきっかけです。


地震がちょっと大きい日も、雪が降る日も、雨が続いて冠水する日も、全然これまであったはずでした。

その比じゃないものに一気にめちゃくちゃにされた街を見ながら、朝に行ってきますと言って出てきた家と見送ってくれた母のことを思い出して、早く帰れるよう祈って、祈って、祈って。


でも、二度と帰ってこなくて。


帰れもしなくて。


いまいち立ち直れないし、新しい環境にもそこまで馴染めないし、それを大人には打ち明けづらいようになってしまったから、逃げるように内に籠って思索に耽るようになりました。

いざ目の前にした死は思っていたよりずっと呆気なく、それでいて全てを奪っていく闇が迫るような重たさがあって。


至極簡単に「当たり前」を一変させられた恨みつらみみたいなものは、ずっと持っています。

今日だけ考えていたあの頃よりもえらく苦しい考えに囚われているような気もします。


ただそれはそれとして大切にしたいものも増えてきて、「大切にしたいと思っている」という意思表示をたくさんしたいな〜と思い始めました。

思っているだけではあまりにも後悔が強かったんです。

わたしたちはテレパスを会得していないから、とにかく共通のコミュニケーション手段の「ことば」に落とし込んで伝えないと。


褒め上手だよね〜とのお言葉をいただけるようになったのも、この意識が芽生えたからかな。

どんな縁にもいずれ来る途絶える日というものを、なるべく悔いなく迎えたい。

人生もそうですね。

わたしはより良く死ぬために今生きています。

今際の際に、0にすることは無理だとしても限りなく後悔を減らしたい。


永遠なんてものないと知っているからこそ…と続きたいのですが、最近ちょっと考え方が変わりました。

以前は「永遠なんてまったくもって存在しない、だから在るうちにすべて為し終えるべき」と考えていたんですが、ちょっと違うような気がしてきて。

永遠って、「在る」(或いは「そうである」)ものではなく、「成る」ものなのかなと思います。


永遠という途方もない時間に在り続けてほしいほど、大切に思うものがある。

それは自分の生命かもしれないし、愛する人やものかもしれないし、後世に伝わってほしいものかもしれない。

そのものの大小に関わらず、愛するものよ永遠たれ、と想い、祈り、願う営みこそが永遠をつくっているのだと思います。


想うことも、祈ることも、願うことも、具体的に何が起こる訳でもない行為です。

ただ、そうし続けることで大切なものの輪郭を鮮明なままにしておけるのだとしたら。

それはわたしたち定命のヒトの時間を越えて、永遠の時を行くものになるんじゃないかなと思っています。

死後があるかないかに近いかな。

器である肉体の永遠は叶えられないけど、中身の永遠は叶えられる気がします。たぶん。


ポラリスとわたしも永遠になりたいな〜。

星くらい、いやそれより長く。

わたしの肉体のリミットを超えていってほしいですね。

それって、わたしの精神や思考が永遠になるから。

そのためにもやっぱり歌い続けていたいし、ライブに出たり新しい曲を作ったりとか、この世における深波の具体性を高めたいです。

誰かがわたしを思い出したい時のきっかけは、多い方がいいですからね。


そんな感じで2年目もやってまいりますので、今後ともどうぞよしなに。


それでは、また。