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23.07 - なる



こんにちは、深波です。


もはや液体になってしまいそうな、人としての輪郭を保てなくなりそうな暑さ。

自室のエアコンもついに働けなくなってきたのか、効きが微妙になってきました。


考えてみたら、5月からずっと暑さに打ちのめされている気がします。長いよ〜。

今月で夏が終わるわけではないし、かといって帳尻合わせに低気圧に囲まれても困るし、難儀な季節です。


冷凍庫をアイスと首冷やすリングで埋めたい。


明日からはたべる牧場シリーズの新作が出るし、サクレも新作ラッシュだし、バスキンロビンスにはダイキュリーアイスを復刻してもらいたい。


復刻で言えばブルーシールのココナッツ単体、もう二度とまみえないんでしょうか。これは先日食べたココナッツとパイナップルのフレーバー。かわいいし美味しいけど、ココナッツ単体のことを思い出してしまう。




アイスのことばかり考えているのってなんだかメルヘンな感じがするけど、頭の外は暑さに苦しみあえぎ死んだ目をしています。難儀な季節です。


生存しましょうね。一緒に。


6月の動画


皆さん、6月に投稿しました「ポラリス」お聴きいただけましたでしょうか。


深波 - ポラリス【MV ver.】



せっかくだしMV作りたいな〜、と思い続けていたのと、成長したし新録したいな〜というのを両方叶えられました︎︎︎︎✌︎

黙々と作業していると「見られるもの」「聴かれるもの」たりえているか、という迷宮に入ってしまうのですが、そこから抜け出して形にできたのは協力してくださった皆さん、そしてたくさんわたしの歌を愛してくださった皆さんのおかげです。


リリースから1年、制作開始からは2年。

これからわたし、どうしていこうかな。


「曲を作る」


「レコーディング」


「配信準備」


「1周年に向けての活動」


といった標をひとつひとつ辿ってここに至った、その先。

ここしばらくは具体的な活動よりもっと大きく、「どう生きていくか」という方向で思い耽っています。


永遠を願うこと


「ポラリス」という曲は、言わば音のついた自伝みたいなものです。


海のそばで生まれ育ち、

空を見上げるのが好きで、

雲も星も生命もすべて巡るのを知って、

喪失に打ちのめされて、

それでも大切にしたいもの、愛したいものがあって、

誰かに聞いてほしくて、

そのために生きていたくて。


そんなわたしの思うことをたくさん詰めた、ほぼわたしのようなもの。

そんな「わたし」を再構成するにあたって話したいことがあるので、よかったら付き合ってください。


年頃からすれば当たり前かもしれませんが、幼い頃のわたしは今日のことだけ考えて生きていました。

帰ったら何して遊ぼう、宿題したくないな、今日のご飯なにかな、みたいな。


そこから大きく人として変わったのは、言うまでもなく大震災で受けた喪失がきっかけです。


地震がちょっと大きい日も、雪が降る日も、雨が続いて冠水する日も、全然これまであったはずでした。

その比じゃないものに一気にめちゃくちゃにされた街を見ながら、朝に行ってきますと言って出てきた家と見送ってくれた母のことを思い出して、早く帰れるよう祈って、祈って、祈って。


でも、二度と帰ってこなくて。


帰れもしなくて。


いまいち立ち直れないし、新しい環境にもそこまで馴染めないし、それを大人には打ち明けづらいようになってしまったから、逃げるように内に籠って思索に耽るようになりました。

いざ目の前にした死は思っていたよりずっと呆気なく、それでいて全てを奪っていく闇が迫るような重たさがあって。


至極簡単に「当たり前」を一変させられた恨みつらみみたいなものは、ずっと持っています。

今日だけ考えていたあの頃よりもえらく苦しい考えに囚われているような気もします。


ただそれはそれとして大切にしたいものも増えてきて、「大切にしたいと思っている」という意思表示をたくさんしたいな〜と思い始めました。

思っているだけではあまりにも後悔が強かったんです。

わたしたちはテレパスを会得していないから、とにかく共通のコミュニケーション手段の「ことば」に落とし込んで伝えないと。


褒め上手だよね〜とのお言葉をいただけるようになったのも、この意識が芽生えたからかな。

どんな縁にもいずれ来る途絶える日というものを、なるべく悔いなく迎えたい。

人生もそうですね。

わたしはより良く死ぬために今生きています。

今際の際に、0にすることは無理だとしても限りなく後悔を減らしたい。


永遠なんてものないと知っているからこそ…と続きたいのですが、最近ちょっと考え方が変わりました。

以前は「永遠なんてまったくもって存在しない、だから在るうちにすべて為し終えるべき」と考えていたんですが、ちょっと違うような気がしてきて。

永遠って、「在る」(或いは「そうである」)ものではなく、「成る」ものなのかなと思います。


永遠という途方もない時間に在り続けてほしいほど、大切に思うものがある。

それは自分の生命かもしれないし、愛する人やものかもしれないし、後世に伝わってほしいものかもしれない。

そのものの大小に関わらず、愛するものよ永遠たれ、と想い、祈り、願う営みこそが永遠をつくっているのだと思います。


想うことも、祈ることも、願うことも、具体的に何が起こる訳でもない行為です。

ただ、そうし続けることで大切なものの輪郭を鮮明なままにしておけるのだとしたら。

それはわたしたち定命のヒトの時間を越えて、永遠の時を行くものになるんじゃないかなと思っています。

死後があるかないかに近いかな。

器である肉体の永遠は叶えられないけど、中身の永遠は叶えられる気がします。たぶん。


ポラリスとわたしも永遠になりたいな〜。

星くらい、いやそれより長く。

わたしの肉体のリミットを超えていってほしいですね。

それって、わたしの精神や思考が永遠になるから。

そのためにもやっぱり歌い続けていたいし、ライブに出たり新しい曲を作ったりとか、この世における深波の具体性を高めたいです。

誰かがわたしを思い出したい時のきっかけは、多い方がいいですからね。


そんな感じで2年目もやってまいりますので、今後ともどうぞよしなに。


それでは、また。





2023.06 - 愛情


こんにちは、深波です。


いつもはひと月ぶりにこの挨拶書いてるな〜という感覚でいるのですが、今月は26日にティザー公開のポストを書いたのでめちゃくちゃ近いですね。こんにちは。


明日MV公開ですね…わたしが準備してわたしが出すのになんだかそわそわしています。

今これを書いている間もあの辺ああしたいな、このテキストあのサイズで大丈夫だったかな、なとと編集画面を開かず思案しています。手を動かして〜。

今は書いてるのでいいんですが。


6月ってわたしの中で特段印象がないというか、旗日もないし、学生じゃなくなってからは中間試験もないしであー…えっと…6月、ッスね…という反応で日々を送っておりました。

アイスがありがたさ増してくるな、紫陽花が美しいな、青の混じった雨の匂いが好きだな、とか素敵なことはたくさんあるんですよ。

決して無価値なんてことはないんだけど、五感を包むものたちがあまりにも柔らかくて。

ちょうどいいブラーがかかった初夏の概念。6月。


そんな中ポラリスが生まれ、ジャケットイラスト担当のともきさんと連絡をとったりいろんな設定をしたり申請をしたりなんかしていたら決まったリリース日、6/26。

この時から一年の記憶の中でも淡~~~~~~い概念であった6月がかなり輪郭をはっきりさせてきました。

わたしは生来何か意識を注ぎ続けられるものがないと生活すら頑張れないので、仕事に制作にと慌ただしい日々はわりと好きです。

都度呪詛は吐いちゃうしポケモンのバイオレットもやってるけど。


今は頭に宝石をつけた宝箱に殴りかかるのに忙しくってェ…


ポケモンパンにもハマり、こどもの頃に通っておきたかったな〜!という後悔と大人って極論責任さえ取れば自由だし…と自分のお金で好きに買ってる喜びとが一緒に来ています。きらきらでかわいい~。


栄養とか熱量のとこを見るとひっくり返りそうになりますが、その分動けばノーカンノーカン!というか生きてるだけでいくらかは消費してるんだし、多少好きなものいっぱい食べたくらいでは…ねぇ…?

こういうマインドで呪詛を吐きたくなったわたしを甘やかしています。ご自愛。

美味しいもの、サイコ〜。

ありがたいことに愛されていることを実感する機会というのが増えてきた(というか素直に受け止められるようになってきた)ので、愛してくれるひとに倣ってわたし自身もわたしを愛していきたいですね。

それこそが、愛してくれる大切な誰かのためにできることだと思っています。


5月の動画


皆さん、5月に投稿しました「プラネテス」お聴きいただけましたでしょうか。


プラネテス - Covered by 深波


素敵な曲ですよね…これね…

姉の影響でボカロを聴くようになって10といくつ年、最近はボカコレというイベントを漁りに漁って新しい曲を探しています。

その2022春回にて投稿されたこちらの楽曲、ひと聴き惚れでした。

MVのテキスト表示のアイデアだったり曲の進行だったりギターフレーズだったりがかなり好みなのはもちろんなんですが、歌詞がと~~~っても好きです。

原曲の概要欄にあるので、まだの方はぜひ。☟


プラネテス/seiza feat.初音ミク



正しさやその恩恵である安定した社会での生活と、それを手放さないと手に入らない幸せ。

どちらを取るか、というのは難しい問題ですよね。

わたしたちの日常は、ドラマティックな選択を必ず祝福してくれるとは限りません。

ただそれを知ってなお、選びたい幸せがあるという場面は少なくないです。

星というわたしたちの日常の尺度を遙かに上回るスケールになぞらえたとしても、世界よりふたりというこの選択、この幸せが揺らぐことはない―――

こんな強い意志を描かれちゃ、刺さらないわけないんですよね。


もちろん世界よりふたり、というのはいたくわがままで未熟な願いかもしれないし、わたしたちが意を決したとして社会の構造やマジョリティを覆すのは難しいです。

相当な痛みや不利に襲われる上、掴みたかったその幸せすらも守りきれないかもしれない。


それでも、と続くところに、計り知れないほどの美しく強い愛情を感じます。

だから、物語やこれまでの音楽シーンでも長く愛されている概念になっているのかもしれません。


愛情って、考えれば考えるほど明文化するのが難しいものですよね。

知の叡智たる辞書にも当然記載はありますが、個人的には結局情という目に見えないものを探っていきながら、その時手に触れたものだけがわたしたちが言えることになるんだと思っていて。

いつだって知り得ることは不完全なままです。

わたしたちは、愛情のほんとうのすがたを確かに知ることはできない。

自分ではない存在に注がれている、あるいは注いでいるものである以上は、1000年生きようがこの世のすべてを明らかにするほど賢くなろうが誰にもできないことです。

でも、触れようとすればちゃんと自分の中のどこかが感じるものでもあって。


そのかたちは、あたたかさは、いったいどんなものなんでしょう?


誰かがわたしのためにそっと箱に入れてくれた愛情に、手を触れてみる。

遅く帰った日にテーブルにある食事かもしれないし、

何も言わずともコップに満たされた飲み物かもしれないし、

沈んだ日が分かるかのようなタイミングで来るお出かけの誘いかもしれない。

不確かだからこそ、その愛情をひとつたりとも逃したくありません。

しっかり抱えておきたいし、表すなら限りなくあなたにも伝わるようなものでありたい。

わたしが皆さんに表す愛情も、どうかひとつ残らず届きますように。


それでは、また。


2023.06.26


こんにちは、深波です。


おかげさまで、本日「ポラリス」がリリースされてから一年になりました。やった~。

もちろん時間の流れは何をしていても平等ですから、空を見ていたって仕事をしたって一年は一年です。360といくつかを数えれば経つもの。

ただその中で、ステージに立つ機会をいただいたり、毎月カバーを出したりと歌に向き合う時間が過去一あった一年にできたのはかなり幸福なことだなと感じています。


時間を経て、わたしも一年分変わりました。

そんな変わっていくわたしが歌う「ポラリス」も、また一つとして同じものはありません。

もっと「ポラリス」の良さが光るように自分なりの歌を磨いていきたくて、時々フル尺で録音してみたりしています。

わたしの歌だからこそ、制作段階でのわたしが感じていた歌に込めたい気持ちや記憶、思想に向き合わなくては。

細胞が入れ替わるように、体質や味覚が変わっていくように、自分のうちにあるこれらだって常に変わっていくものです。

まったく反転したっていい。

表すにふさわしい言葉が変わったっていい。

未来のわたしが今のわたしの感覚を未熟で唾棄すべきものと思ったとしても、今抱いているものが間違いであることにはならないのです。

今のわたしの、あなたの内側にあるものは、例えいつかの自分自身であるとしても侵犯できないただひとつのもの。


だから、毎年(できれば、という予防線は張りますが)その年のわたしが歌う「ポラリス」を、形にして皆さんに届けられたらと思っています。

その第一回目が今年、2023年の6月です。

公開は普段の動画公開のタイミングに合わせ、

【6/30(金) 20:00】

を予定していますよ~。

そして今回は、ずっとほしいな~と思っていたMVを制作しました。

公開しましたティザー動画、ぜひご覧くださいね。


ポラリス-MV ver.- Teaser movie



もっと話したいことはあるんですが、せっかくならフルの動画が公開されてからにしようかな。

普段の動画の振り返りと同じく来月の月記にまとめる予定なので、そちらも読んでいただけるとと~ってもハッピーです✌

いつも月記を読んでリアクションをくれる皆様、本当にありがとうございます。

思想モリモリで歌よりとっつきにくいかな~と思いながらやっているので、予想以上に読んでいただけていることを認識するたびに嬉しくなります。いぇ~い。


また別で今月の月記も書いては消しをしているところですので、なにとぞ。ね。


それでは、また。

2023.05 - 母のこと


こんにちは、深波です。


湿った暑さや気圧に例年より気圧されている23歳の5月、よく食べよく眠ることが今すぐできる最善であることに気づきました。
なんか上手いこと言えた気がしますね。日本語のこういうところがだ〜いすき。


「よく食べよく眠ること」とあんなに口酸っぱく言われてきた学生時代、お恥ずかしながらこの教えの当たり前さに馬鹿馬鹿しいと逆張りし、遅寝限界早起き朝食はそこそこといったくたびれまっしぐらな一日を送っていたものでした。
もう二度と同じ生活リズムで身体を駆動させられる気がしません。
若さだって、怠惰の蓄積の前には輝きを失うのです。
でもこの教えのシンプルな美しさ、正しさに気づいたのが今で良かったですね。
なんせヒトの時間は不可逆であり、今が一番若いのですから。


4月の動画


皆さん、4月に投稿しました「第六感」お聴きいただけましたでしょうか。


第六感 - Covered by 深波


実は昨年の4月に一度フル尺を完成させていたのですが、この一年でどれくらい成長したのか比べたくなってまた作り始めました。
feat.東京ゲゲゲイver.が大好きなのでやるぞ!と意気込んだものの、歌い始めてから必要な音域の広さに五体投地した回数幾星霜。
でも4月に出したかったのでね。
一年ぶりだし、新年度でもあるし、前に飛ばすポップスの歌い方は課題だし、いっちょここらで時間を積み重ねつつも一番若い「今」を歌っておきたかったんです。
生まれてから数えれば一番老いていて、それでいていつかくる終わりから数えれば一番若いなんてなんだか不思議ですよね。
そんな「今」を、出来るだけどこかしらに残しておきたいです。


5/14


さて、母のこと。母のことです。
今だから書ける、母のこと。
こたえのない贈り物をし続けて儀式めいてきた12回目の母の日ですが、今年はオレンジのシャボンフラワーブーケでした。見て見てかわいい!


母はオレンジ色が好きらしいです。
その昔交換ノートの文化にハマった頃、どうしてもすぐにやりたかったわたしは一家で交換ノートをしよう!とフォーマットを作りました。
そこに母が書いてくれた好きな色が、オレンジ。
明るく華やかな母にぴったりの色ですね。
わたしは母のことが本当に本当に大好きなのでいつも、今でも、いや今だからこそベタ褒めしています。


文武両道才色兼備、顔が広く実行力があってひとに愛されひとを愛する女性。
生まれてすぐ急性脳症になったり、8歳の頃てんかんを発症したり、それでなくとも甘えてべったりだったわたしを邪険にすることなく力を尽くしてくれた母親。
カーオーディオで流れる平井堅さんの「KISS OF LIFE」にノリノリで手を振る可愛い人。
いつも美味しいご飯を、習い事や学校行事には素敵なお弁当を欠かさず作ってくれたすごい人。
思い出すだけで母の好きなところはたくさん書けるんですが、中でもとっておきのを皆さんにお教えしたいなと思います。


わたしは、小さい頃からピーマンが好きです。
母が作ってくれるお弁当にはいつも、ピーマンを油でくたくたになるまで炒めて塩胡椒で味付けしたものが入っていました。
これがなんだか美味しくて、大人になった今でもピーマンがあるとやりたくなります。
母がわたしに遺してくれた、いわゆるおふくろの味。
ただそれは、どうも母がオリジナルということではないようでした。


母は友人を大切にする人で、小さい頃「よく分からないけどお母さんが仲良くしてるお姉さん」にたくさん会ったことがあります。
その頃の縁があって、震災のあとそのお姉さんたちと会うと何かしら母の思い出を語ってくれました。
仲睦まじいエピソードを聞く度に、母は母になる前からひとを愛するひとで、そんなところを愛されていたのだと噛み締めたものです。
その中にいらした同級生の方のお母様が、そのピーマン炒めの祖なんだそうで。
学生の頃その方のお弁当に入っていたピーマン炒めを一口もらったところいたく気に入って、わたしにも作ってくれるようになったらしいです。
それを聞いて頭で計算したピーマン炒め存続の年月は、結構なものでした。
母から子への愛情、友情、また母から子への愛情。
そうやって密かに紡がれた愛情の連鎖のエピソードがあったこと、そしてそれを本人として聞けたことはかなり幸福なことと思います。

ただ寂しいことにその方ももうご存命ではなく……ピーマン炒めは世代も家も超えて、何故かわたしひとりが継いでいます。
でも普通に美味しいので、先日いつも料理を振舞っている人にもご馳走しました。
ピーマン炒めよ永遠なれ。

とまぁ、そうやって世界一シンプルで愛に溢れ、思ったより嵩の少ない姿になったピーマンを見る度に、鼻の奥がつんとします。しょっぱい。


一時、母のことを考えて泣いてしまうなら考えるべきではないのではないかとも思いました。
でも今、先月のポストにあるように母が好きなオレンジ色のスニーカーを履いています。
母がお化粧して出かける日の匂いに似た香水を見つけたので、いずれ買うつもりでいます。
母が好きだったドリカムは今年四年に一度の大きいライブを開催するので、チケ争奪戦に参戦します。
母が大好きと言い続けます。
ピーマン炒めだって作り続けます。
母にたくさん愛されて育ったわたしを、そしてそれが少しずつ形を変えてあたらしくなる「今」を、目を背けずに愛し続けていたいから。


今月は特に長かったですね。お付き合いいただきありがとうございました。


それでは、また。

2023.05.15 - なにいろ




青山吉能さん、お誕生日おめでとうございます。


5/13(土)のBDライブ「されど空の青さを知る」最高でしたね〜〜〜。
わたしは昼公演に参戦しました。
これまでのla valigiaおよび青山吉能さんの楽曲を生で聴く機会には悲しいことにご縁がなく、初めてのソロ生パフォーマンスチャンスです。爆泣き確定演出。
実際SundayからSTEP&CLAPまでずっっっっと嬉しくて大好きで泣いてたし、なんなら物販に並んでる時から泣いてた。
人混みが苦手なわたしを心配して付き添ってくれた人間もドン引くハイペースかっ飛ばし涙腺、なんかの病気だったらどうしよう。
そしてMCの女〜!で大きく太い声を出して驚かせてしまった前列の人、誠に申し訳ないです。でも応えるべきところでしっかり大きな声が出せる人間でよかった〜。


わたしは青山吉能さんに対して、かなり大きな大きな気持ちを抱いています。
わたしがわたしらしく歩けているのは、間違いなく青山吉能さんのおかげで。
ステージの上、webページのことば、添えられた写真、どの場所のなんだって、わたしを先へ連れ出す大きな力です。


わたしは昔から歌が大好きで、今も歌を出したり曲を作ったりとかなり充実した音楽ライフを送っています。
こう書くとかなり分かりやすいですね。
青山吉能さんが作る、人生の文脈を受けた「音楽」そのもの、その空間が大好きで、大きな刺激を受けて、また今日も机にDAWにマイクに向かいます。


持論として、素晴らしい時間の芸術はそれだけで人を奮わせる力を持っている、というものがあります。
時間の流れの中に在る人間の生き様というものも、またそのひとつで。
青山吉能さんの歌を聴くとわたしももう少し曲を練ろう、とか、ことばに触れるとわたしだったらどんなことばで記すだろう、とか、人前に立つ姿を見るとわたしもこんなふうに誰かの目に輝きを映すようになりたい、とか、思うんです。本当にすぐやりたくなる。


Tumblr - みずからうまれる


これは去年のよぴぴん家にライブ寄せて書いた、読んでも読まなくてもいいけどちょっとだけ詳しめにこの気持ちが書いてあるものです。だいぶ変。

もちろんそういった感覚的なものだけでなく、ステージ上でのパフォーマンスや見え方についてもかなり勉強になりました。
先日自分のライブ映像を振り返ったのですが、思ってる以上に動かないと見え方が固いんですよね。
青山吉能さんの好きなところ、お顔、歌声、感覚、この一瞬をひたすらに愛しているのがひしひしと伝わるパフォーマンス。
わたしも人にそう思ってもらえるように頑張りたくて、これまでより多めに鏡の前に立っています。
曲、この空間、愛してくれる人すべてへの惜しみない愛情、それはわたしも少なからず持っていて……

それでもまだわたしが見た青さには届きません。


わたしは青山吉能さんじゃないから、青山吉能さんが込めるすべての愛やこころを推し量ることはできないです。
その上青くはなれないかもしれないし、そうじゃない色に成るのかもしれない。
どどめ色かもしれない。あれこれ欲しがって濁った、後ろ手に隠したい色かもしれない。
色とか、そもそもまだないのかもしれない。
あちこち振り回されてついた傷から流れる血は何色で、痛みや悔しさに震える涙は何色で、行く先を見つけたり辿り着いたりして喜びのうちに溢れる涙は何色なんだろう。
それでも、みずいろに、青に、あなたの色に焦がれています。それだけは確か。
青山吉能さんのようになりたくて、青山吉能さんではないわたしが、わたしなりの色を探して、旅を続けていく。
その道は青い光と、わたしの心が大きく震えてこぼれた涙が指し示す先へ。


書きたいように書くとこうも……重……不明……

ファンレにはもう少し軽くしたつもりなんですが、今になって不安になってきました。
まぁことばに起こすって大事な作業だし、せっかくなので今読んでくれている皆さんにも付き合ってもらおうかと。
ね、ありがとうございます。
わたしたちもイカした服を纏って駆け抜けましょうね。

人生とかいう毎日新しい、でも続いていく世界を。


2023.04 - 生きるとか


こんにちは、深波です。


陽に透ける木々の緑や青を孕んだ風が心地よい頃になってきましたね。


景色が花の色から緑にうつるさまに、なんとなく桃や杜若といった襲の色目のことを思い出します。

季節を思わせる色や模様を身につけよう!と考えた平安の公家の人達、オシャレすぎる。

生きるのを楽しんでいる感じ、憧れますね。

季節の変わり目には前の季節の色をあえて入れてみて、名残惜しさを表したりなんかもしていたというのを何かで読んだことがあります。

やりたすぎる。

わたしといえば、数着の外さない服を寝ぼけ眼で引っ掴んで着て脱いでの生活ですから。

せっかく五感に訴えかけてくる刺激的な世界に生きているので、それなりに満喫して終えたいですよね。

終わりがくることだけが、すべての生命に約束された絶対なので。


3月の動画


皆さん、3月に投稿しました「猿芝居」お聴きいただけましたでしょうか。


猿芝居 - Covered by 深波


Overdoseに続き、なとりさんの楽曲をカバーさせていただきました。

合理だけを求めて生きようとするのはいかにもこの世の真のように思えますが、実際のところそこまで極められるわけでもなく。

人生はいつも取り越し苦労に無駄な焦りに遠回りに浅ましさに何某に溢れかえっているわけです。わたしはね。

斜め上を睨んで舌打ちしつつも、そんなんしてくるなら逆に楽しんだるわと噛み付いてみるとなんだかんだ楽しかったりします。そのまま生活していたら会わないような人と関わったり、いい感じのお店を見つけたり、鳩と知らない公園の剥げたベンチに座ったり。

特に10代後半〜22歳くらいまでをめちゃくちゃに焦って生きてきたので、ここ最近は外れた道も散歩してやるつもりでおります。

そういう時にぴったりな可愛い靴を手に入れてご機嫌なので、皆さんにもお見せしますね。



かわい〜い。

楽しみを見出して生きる、というとなんだか眩しく思えてしまいます。

わたしはどうもそれとはまた違った結論に至りました。


昔世界史の先生が、思想家が増えたのは当時奴隷制が広まり暇な奴が増えたからだと言っていました。

今のわたしたちはやることは多いながらも、機械や他人に頼むようなことも増えて頭を巡らせる隙間は増えているように思います。

仕事をこなしつつも、ふと思考に隙間が出来ると答えのない問答に向き合ってしまうのです。

呆気なく終わっていく命に向き合ってきて、生き死にというものは大きなトピックになりました。

ただそれはもう今すぐ死んでしまおうか、とかそういうものではなく、生きることって結局なんだ、とかの、そういうものです。

生まれた時から確定である死に対しての意識というものはきっとすべての人にプログラムされていて、それに気づく気づかないの話なんだろうなと。

目の前の向き合うべきこと、向き合いたいことはあるか、そしてそれに心を注いでいく営みが、今のわたしにとっての生きるということです。


皆さんにはありますか?


わたしはとりあえず、この世の知らないことをもっと知りたいです。

音楽も、言葉も、その他のことも、世の中って毎日たくさんの知識が生まれたり更新されたりしていて。

本当につまらないことってきっと少ないんだと思うんです。

知らない、あるいは心が動くようなことを知れなかったというだけで。


わたしは根っからの理系に弱い文型なんですが、理系にて学を積んだ友人たちに話を聞いていると本当に面白いんですよね。

鳩の首元の輝きは構造色だとか、かわいい化粧品の偏光パールの仕組みとか、宇宙の端の認知とか…

常々知らないことの多さに気付かされ己が不勉強を恥じるものの、彼らの巧みな話術もあってかたいへん面白く聞こえるんです。

この世にはわたしが知らないだけで、めちゃくちゃに面白いことがまだまだたくさんある。

それをひとつでも明らかにしていくことが、今のわたしの向き合いたいことです。

今年の夏も、昨年同様上野の国立科学博物館にて特別展を見に行く予定です。うきうき。


知らないことを知ると、世界の輪郭がもっとはっきりしてきます。

その感覚と、日々の何かに仕舞い込んだ知識を結びつけて心を動かせる自分が愛しくてたまりません。

最初の襲の話とかね。

きっとこの膨大な知らないことに溢れる世の中では、死ぬまで世界の半分も知れないのかもしれないけど。

それでも知りたい、だから生きていたいです。

それがお金になるわけでも食べ物になるわけでもないとしても、無駄だとしても、雑学止まりだとしても、知る喜びに優るものはありません。

23歳、人生が面白いです。


長々と綴ってきました。

このあたりで、今日の初めて知ったことを書いて終わりましょう。

爪周りの傷がコンプレックスなのと水仕事でとてもネイルなんて…と思っていたのですが、爪を飾りたい欲に駆られ現代叡智ネイルチップに頼ってみました。

やってみると爪の形や長さが揃うので見栄えが良くなり、ついでに気分も良くなりました。

貼るも外すもめちゃくちゃ難しかったので、爪を労わってやりたいと思います。


それでは、また。


2023.03 - 春が来ていますね



こんにちは、深波です。


あんまりにも春が右往左往するもので、鼻腔と自律神経がもう、もう。

でも、春っていいですよね。

わたしは日光がかなり好きなので、日が長くなるのを感じるたびに小躍りしています。

冬至を越え夏至を待つ、日が長くなっていくだけのフィーバータイム。

タスクをこなしてふと外を見ると、先月には早々と明度を落としていた空がゴキゲンなグラデーションに…

とても嬉しくなりますね。

綺麗な色が広がっている上に、「まだ空が明るいうちにこんなにもタスクを消化できているんだな…」という達成感にも満たされる。贅沢ですね。

例えそれが時刻としては年中変わらない、仮初の達成感だとしても。

でも結局、そういうのが大切だったりするじゃないですか。

一日のうち、嬉しい時間は一秒でも長い方がいい。

優しい嘘が沁みるようなときだって、あるのです。


2月の動画


みなさん、2月末日に投稿いたしました「ノマド」もう聴いていただけたでしょうか。

ノマド - Covered by 深波

暦の帳尻合わせに短くなったとされている2月はあまりに儚く、必死に毎日を捕まえていないとこの手からするりと逃げていきそうで。

それでも連続するわたしたちの日々は、「特別」も「やり直し」もなく粛々と過ぎていきます。

そこにある歩みが愚かしくとも、悔いるものであるとしても、二度とないものであるのだと連れ立って生きていかなくてはならない。

24回目の2月を、その歩みを見送る祈りのような心持ちでいました。

お借りした楽曲におのれの情をこうも盛ってしまってよいのかとは思いつつ。

そしてみなさん、サムネイルイラストご覧になりましたか?

かなり、かなり素敵ですよね…

GEBAO様にはいずれなんらかの形でご依頼をした~い!深波として!と考えていたのですが…いざこうして自分のチャンネルに大好きなイラストレーター様の絵が現れると、頬が緩んでしまいます。嬉しい。

サムネになっているイラストはわたしの方で背景色と文字の追加をさせていただいたので、オリジナルの方もいずれ見ていただけるよう場を整えていきたいと思います。

その時はぜひ、.pngに穴が開くほど見てくださいね。

そしてGEBAO様のメディア欄を見たりなどしてサイコ~!となりましょう。一緒に。


追いかける、ということ


さて、2月の話をしてきましたが投稿は3/30、3月も末の末です。

桜がほころび、風に花の香りをつけ、風景を甘やかな色に染め、味覚にも不明瞭ながら「なんかいい」味を残していく時節。

みなさんはなにがしかの春、感じましたか?




わたしは絶対にこれを、という心持ちでスタバに向かいました。

普段は限定ってそこまで惹かれるタイプではないんですよ。

さくら風味って明確な基準がないからお店やメーカーによって全く違う味だし…


でもこれは好きな要素だけで構成された奇跡的私信ドリンクだったので、これを飲まずには春を越えられないなと思いました。

それくらいのものです。

普段行かない街の店舗に行って、何線なのか全くわからないかわいい色のラインの電車を眺めながらいただく今年限定の春。

さくらアリュールティーフラペチーノ


この奇跡的私信ドリンク、当然ながらとても美味しかったです。乗り換え頑張ってよかった〜。

これずっと飲んでたい。無理ですか?

無理なら毎年出していただきたい。お願いします。


まぁそんな感じで「今だけ」を追いかけて馴染みのない土地にやってきて、新しいものをいただいていると、わたしは23になってなお知らないことに包まれる時間があるのだと思います。


ただ、その中で。


いつかの今頃は何をしていただろうかという郷愁にも駆られるのです。


1年前。5年前。10年前。20年前。


考えてみたら、23年ってかなり長いですよね。

決して喜ばしいことばかりではないし、自分だからこそ愛せないようなこともあります。

特に3月はどうにも毎年うまいこと生きていけなくて…そうなったきっかけは明確に12年前の震災だなぁ、と思っています。


慣れ親しんだ地や家族といった「日常」を根こそぎ持っていかれましたし、亡くなった姉の誕生日は17日。もうすぐそばでした。

その頃、東京の池袋に家族旅行をするのが姉の誕生日祝いの定番になっていたんです。

12年経ったとなると、もうそろそろ被災してからの人生の方が長くなりますね。

もう大人になりましたし、と、意図的に避けるのをやめてよく行っていた施設の前を通りがかってみたことがあります。

変わらず人に愛されるその場所の中に、あの時の影を見るような気がしました。


寂しいですよ、やっぱり。


長い行列を姉とくっついて待ったり、チーム姉母/わたし父に別れて回ったりなんかしたのを思い出します。

こわいゾーン、結局しっかりまわれたことってなかったな。


今月11日は供養に行って、17日は仕事をし…ようとして辛くなって、少し休みました。

こればっかりは焦っても仕方ないみたいですね。

毎年大丈夫になりたくて仕事を入れてみるんですが、やっぱりうまいこといかなくて。


すっかり社会人になり、料理に凝ってみたり少し高い買い物をしたりと一人で生きていくことには慣れてきたようなつもりでいます。

ただふとした時に襲ってくる痛みというものは、まるでついさっきついた傷のようにじくじくとわたしを刺してくるんですよ。痛い。


人生を投げ出したかったことなら、いくらでもあります。

もう耐えられないくらい痛かった時もある。


それでも、その時々のわたしが必死に掴もうと追いかけてきたものが繋がって、今の…まぁまぁ、それなりに思えるわたしになっているのだと思うと、ほんのり誇らしい心持ちになります。

3月という月にただの31日間以上の重みが乗ってしまった以上は、きっと向き合わなくてはいけないのです。

なんとなく不調なのも、痛みにしっかりと向き合うように誰かがそうしているのかもしれませんね。


もう姉より長い時を生きたわたしは、立派になれているでしょうか。

尊敬してやまない母や祖母のような、美しく凛々しく、それでいてチャーミングなひとになれるでしょうか。

それはもう少し、この先の未来を追いかけてみないと分かりません。

いつまで生きてるかなんて分かったもんじゃないですが、いつかプリティチャーミングおばあちゃんになる日を信じて。




わたしが先日作ったおいしい鯖の味噌煮のお写真とともに、お別れとしたいと思います。


それでは、また。